ルイのその他をお届けします!
セールやイベント情報をいち早くおしらせします。
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今野企業グループ
社長 今野正道
飛行倶楽部・貸ビル・自動車学校・コンサルタント・貴金属等、幅広く活躍しています。
福島県須賀川市に両親の墓が有ります。
平素より格別のお引き立てに預かり、厚く御礼申し上げます。
さて、今年もあとわずかで巳年がやってきます。
恒例のカレンダーと小物彫刻のラインナップをご紹介いたします。
詳しくは担当営業にご相談ください。
長野、山梨地区を担当している 藤原です。
今回は山梨県の㈱エリゼ様を紹介します。
㈱エリゼ様は、石材部、不動産、観光事業、EIJ環境等40年以上地域密着の会社として、
幅広く事業を営んでいます。
石材部は営業スタッフと施工スタッフの連携により質の高いサービスを提供しています。
今回は、小宮山社長様が、昨年、長昌院(甲府市)へ寄贈しました
みほとけ供養塔を紹介します。
骨壺60体収納
最大の特長は釈迦如来坐像の背中から、骨をパウダー状 にして地下へ散骨出来ます。
今後は益々需要が高まります。
(所在地)
山梨県中巨摩郡昭和町西条1949
Tel 055-275-6666㈹
代表取締役
小宮山 剛司
TANEです。
先日エンディング産業展に行ってまいりました。
昨年行ったから今年は行かなくていいかなと思っていたのですが、
弊社吉川社長がセミナーの講師として、中国との石材貿易の近況を報告するとのこと。
社内から誰一人見学に行かないとのことで可哀想なので急遽東京に向かいました。
昨今は事前エントリーをネットで済ませての入場となっておりますが…大行列。
これは事前エントリーを済ませているのですが、名札をプリントアウトしてない
QRコードだけでの入場者の列です。
念のためプリントしていた私はラッキー!一瞬で手続き完了でした。
来場者数は昨年より増えたような気がします。
撮影禁止でしたので写真はありませんが、フクイシさんのガラスの集合墓かな?
「光り墓」の展示と創ingセレモニー萩原さんの白木の祭壇の存在感が印象的でした。
今年も仏壇屋さんを探していたのですが残念ながら出店なし。
樹木葬もアピールの必要が無くなったのか以前ほど大きなブースはありませんでした。
代わりに目をひいたのが古墳。キャッチコピーは「シン古墳時代到来!墓石を
建てる時代は終わりました!」
神明鳥居の模型とパンフを配る巫女さんはインパクト大でした。
古墳を使うの?って思いましたが、古墳型の霊園?を作って、
樹木葬?みたいに納骨するみたいです。
他にはデコった骨壺とか宮内庁御用達の高級骨壺などもありましたよ。
今回石材業者として面白かったのが、陶器の造花をリリースしたセトクラフトさんの
陶器のお花「花RENNUカレンヌ」です。
近年お墓でプラスチックの造花をよく見かけるようになりましたが、
屋外なので劣化しボロボロになっていることが多いです。
陶器ですと屋外でも劣化も退色もほとんど無く半永久的に飾れるそうです。
樹脂の造花と比べ石材との相性が良さそうでしたよ。
あ!そうだ、うちの社長のセミナー見に来たんだった…
光福寺の宝篋印塔
昭和二十八年八月二十九日 国指定有形文化財
この宝篋印塔は、高さ二.一mを計り、元亨三年(一三二三年)に造立されたものです。均等のとれた美しいもので鎌倉時代の宝篋印塔の特徴をよく伝えています。
裏面の銘文
奉造立宝篋印塔一基
右塔婆者大日本国武州比企
玉太岡四国山光福禅寺沙門
鏡空子円元亨発亥
仏成道日起之誌之矣
当時大檀那比丘尼妙珊
藤原光貞朝臣
施主妙弥閣阿
埼玉県教育委員会
東松山市教育委員会 引用
地元の銘墓
(丹羽家)
丹羽家は桓武天皇の皇子良峯安世、又は児玉惟行を祖とする氏族で
尾張国春日井郡児玉村を本貫としました。
丹羽長秀は織田信長に仕え、特に豊臣秀吉に早くから協力した事で
123万石の大大名に出世しました。
丹羽長重は波乱万丈の大名で、大幅減封や改易などを繰り返しながら
白河藩10万石で復権しています。
丹羽光重の代で二本松藩に移封となり以後明治維新まで
丹羽家が藩主を歴任しています。
TANEです。
今回ご紹介するのは群馬県藤岡市の三名湖霊園です。
藤岡市街から少し南に位置し、見晴らしの良い小高い丘の上の
宗教・宗派不問の墓地です。
東側の区画は比較的古く、階段の上り下りを必要とするのですが、
新しくできた丘の上の区画は駐車場とフラットで人気が高く
次々と新区画を増設しています。
敷地も多数から選択でき、立ち拝みタイプや外柵タイプとバリエーションに
富んでおり、石種との組み合わせでご予算に合わせ建墓できるようです。
本体も比較的自由にデザインでき、おしゃれな洋型も多々あります。
今回は新規増設の樹木葬エリアをお手伝いさせていただいたので
ご紹介させていただきます。
間口26尺奥行16尺正面はピンクの御影石を使用し、袖石と石碑は
ニューインペリアルレッドを使用。
大小合わせて約100組が埋葬できるエリアとなっております。
お施主様のニーズ、予算に合わせてご案内でき、リニューアルした
店舗では法要や霊祭にも対応できるとのことです。
三名湖霊園
所在地:群馬県藤岡市三本木540番地5
問い合わせ:0120-652-375
E-mail:sannakoreienn@yahoo.co.jp
受付時間:10:00AM~5:00PM
お休み:水・木曜日
公式サイト:三名湖霊園公式サイト https://sannako-reien.chu.jp/
駐車場:あり(無料)
武田信玄公御墓所
天性元年(1573年)4月12日、信州伊那駒場で53歳で生涯を閉じる。
3年間の秘喪を命じ、嫡子勝頼公は二十四将の1人土屋右衛門昌次の邸内で、
天正4年4月16日山梨県塩山恵林寺にて、葬礼を行い埋葬した。
その後、安永8年(1779年)甲府代官中井清太夫が発掘して、
甲府市岩窪へ埋葬し今日に至ります。
「法性院機山信玄大居士」(天正元年四月十二日没)
武田信玄公御墓所
sonoです今回は熊本市にあります【加藤清正公 御廟所『本妙寺』 】です。
熊本市の中心地にそびえ、熊本県人の魂であります「熊本城」地震での被災は熊本県民の心を痛めました。
その熊本城を築城したのは加藤清正公(かとうきよまさ こう)です。
清正公は、天正16年(1588)肥後に入った後の長引く戦乱で荒れ果てていた肥後を立て直すために
治山治水工事や、水田の開発等に力を入れ、その工事の功績は大変大きく、
現在でも現役で利用されているものがあります。
また、南蛮貿易に取り組むなど、領地経営を積極的に行うことで、
肥後は豊かになったそうです。
その為、加藤清正はやがて領民から神様のように慕われ、
現在でも「清正公(せいしょこ)さん」と熊本県民から親しみをもって呼ばれています。
その清正公が慶長16年(1616)熊本城中で亡くなり遺言により、熊本城に相対し自身が
築いた熊本城の天守閣と同じ高さの地に葬られて、淨池廟と称されたそうです。
元和2年(1616)には清正公のお墓を守るために熊本城内より移転してき、
淨池廟は正面に清正公の木像を安置しておりその真下に清正公が葬られており、
この建物全体がそのまま清正公のお墓であるそうです。
わたしも何度もこの場所には、伺っていましたが、この度初めて全体が
お墓であるという事を知りました。
熊本には秋の大祭があり清正公に関したその祭りの音色を聞くと熊本県民は
心が躍り血が騒ぐ感覚になります。