ルイの新着情報をお届けします!
セールやイベント情報をいち早くおしらせします。
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こんにちは。
2026年福島展示会の準備の様子です🙂
展示会は3月5日(木)と6日(金)に開催いたします!
よろしくお願いいたします!

4月1日より中国国内の税制が代わります。

「万治の石仏」
高島藩主諏訪忠晴公が、万治2年(1659)諏訪春宮大社へ石の大鳥居を寄進した。
その時これを石材にしようとして、石工が鑿を入れた所、血が流れ出たので
神様の祟りと恐れ中止した。
石工達はこの石に阿弥陀如来をまつって記念とした。
建立が、万治3年(1660)と刻まれていることから、万治の石仏と命名し、
岡本太郎画伯や大勢の方がお参りに訪れています。

※お墓ではありませんが、興味深い石工の話でしたので掲載させて頂きました。
謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
旧年中は格別のご愛顧を賜り、誠にありがとうございました。
2026年を迎え、有限会社ルイはさらなる飛躍を目指してまいります。
私たちはこれまで、石材輸入商社としてお客様の多様なニーズにお応えするため、
品質とサービスの向上に努めてまいりました。
本年も引き続き、信頼されるパートナーとして、皆様のご期待にお応えできるよう
全力を尽くしてまいります。
また、昨今の社会情勢や市場環境の変化に柔軟に対応し、持続可能な事業運営を
目指して、社員一同一丸となって取り組んでまいります。
お客様、取引先の皆様、そして地域社会の皆様とともに、より良い未来を
築いていけるよう努力してまいりますので、変わらぬご支援を賜りますよう
お願い申し上げます。
本年が皆様にとって実り多き一年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。
2026年も有限会社ルイをどうぞよろしくお願い申し上げます。
有限会社ルイ
代表取締役 吉川信貴


南部氏とは ― 盛岡藩を治めた北方の名門
南部氏は、甲斐源氏の流れを汲むとされ、中世以来、現在の青森・岩手を中心に勢力を築いた名族である。
関ヶ原の戦い後、南部信直の子・南部利直が盛岡藩主となり、以後明治維新まで約260年にわたり南部家は盛岡を治め続けた。
長期にわたる安定した統治は、盛岡藩が大きな改易や転封を受けなかったことにも表れている。その歴史の積み重ねが、現在の墓所群にも色濃く反映されている。
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大慈寺(だいじじ)― 南部家歴代藩主の菩提寺
盛岡市中心部に位置する大慈寺は、盛岡藩南部家の菩提寺として知られる。境内奥には、江戸時代の藩主たちの墓が整然と並んでいる。
これらの墓石は、藩主という権威を誇示する豪華さよりも、武家らしい簡素さと威厳を備えている点が特徴的である。
歴代藩主の墓が一か所にまとまっているため、盛岡藩の歴史の流れを視覚的にたどることができるのも大慈寺墓所の魅力だ。
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聖寿寺(しょうじゅじ)― 初代藩主・南部利直の墓
盛岡藩初代藩主 南部利直 の墓があるのが、盛岡市内の聖寿寺である。
利直は盛岡藩の基礎を築いた人物であり、その墓所は特別な存在として現在も大切に守られている。
杉木立に囲まれた境内は厳かな空気に包まれ、戦国から江戸へと時代をつないだ武将の人生を静かに思わせる空間となっている。
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墓所が語る「盛岡藩の性格」
南部家の墓所を歩いて感じるのは、華美さよりも実直さである。
徳川御三家や大都市の大名墓所に見られる豪壮な装飾は控えめで、北国を治めた武家らしい堅実さが随所に表れている。
それは、厳しい自然環境の中で藩政を維持してきた盛岡藩の姿勢そのものとも言えるだろう。
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おわりに ― 墓所は「生きた歴史資料」
盛岡藩南部家の墓所は、単なる史跡ではなく、藩の歴史・価値観・人物像を今に伝える生きた歴史資料である。
盛岡を訪れる機会があれば、城跡や資料館とあわせて、ぜひ南部家の墓所にも足を運んでほしい。
そこには、北東北の地を長く支えた大名家の静かな足跡が、今も確かに残っている。
いつも大変お世話になっております。
有限会社ルイのブログ担当スタッフです。
本年も残すことあとわずかとなりました。
皆様よりのご愛顧に支えられた一年でございました。
この場をおかりいたしまして、厚く御礼申し上げます。
さて、誠に勝手ながら、弊社の年末年始の営業は、下記のとおりと致します。
皆様にはご不便、ご迷惑をお掛けしますが、何卒ご容赦賜りたく存じます。
年内営業 令和7年12月27日午前中まで
年始営業 令和8年1月5日より
前島密(まえじま ひそか) 1835~1919 日本の官僚、政治家。新潟県出身。
日本の近代郵便制度の創設者の一人として「郵便制度の父」とも呼ばれています。
密翁は「郵便」「切手」「葉書」という名称を定めました。
一円切手の肖像でもしられていますが、日本の他の切手は頻繁にデザインを変更されている中で、
前島の肖像が描かれている一円切手だけは1,947年の初発行から一度もデザインが変更されていません。
前島密翁夫妻は、晩年を神奈川県横須賀市 浄楽寺境内の別邸「如々山荘」で過ごしました。








「正常」でない石種は、お手数ですが担当営業まで御確認願います。
また、長尺ものも確認した時点の物なので、発注前に御問い合わせ願います。
*詳細・御問合わせは、各担当営業へお願い致します。







「正常」でない石種は、お手数ですが担当営業まで御確認願います。
また、長尺ものも確認した時点の物なので、発注前に御問い合わせ願います。
*詳細・御問合わせは、各担当営業へお願い致します。