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2024/04/13

第十二回 地元の銘墓

TANEです。栃木県出身の武将超有名な人がいました。皆さんご存じ、弓の名手那須与一です。

所在地:栃木県大田原市 玄性寺

平安末期に栃木県の那須郡那珂川町近辺で那須家の11男として生まれました。
治承・寿永の乱、いわゆる源平合戦では9人の兄達は平家に仕え、与一と兄十郎為隆は源頼朝に仕えました。
平家物語の一幕「扇の的」では源義経軍に従軍した与一が屋島の戦いにて…

時は日暮れ、平氏は船上、源氏は海辺、戦は明日へ持ち越しと引き上げようとしたところ、
平家方の船が一隻源氏方に近づいて来ました。船に扇を立てかけ、若き女性が手招きしています。
この扇を射てみよと…義経は与一に扇を射るよう命じます。両軍が見守る中、海に馬を乗り入れる与一。
距離は約75メートル、波は高く逆風の北風が激しく吹いています。
与一は目を閉じ「南無八幡大菩薩…願はくは扇の芯を射させ給え(略)」と祈念し、矢を放つ。
矢は扇の要の際から1寸ほど上を射抜き、扇は海に舞い落ちました。こ
の見事な一射に平氏の武将が舞を舞います。
しかし義経の命でこの武将も射殺してしまうというお話です。


影でよく見えませんね…      古からの名声は永遠に伝え残るってことかな?

その後、兄十郎為隆は義経の命に背き罪人となり、与一は屋島の功績により5つの荘園を
賜り那須家の家督を継ぎ二代目当主となったのです。


那須家の墓所


与一の父資隆の墓             与一宗隆の墓


22代目当主資景の妻の墓           22代目当主資景の墓

なんと、22代目当主資景は関ケ原にて東軍に参加し1万4000石の大名として
那須藩を立藩し初代藩主となったそうです。


那須家歴代の合祀碑            何故か11代目当主資重の墓

立派な宝篋印塔が立ち並び与一の子孫も出世しロマンを感じる墓所でした。

玄性寺
所在地: 〒324-0024 栃木県大田原市福原361
電話: 0287-28-0211

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