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TANEです。
今回ご紹介するのは歴史上の有名人…
皆さんご存じ日本三悪人の一人、道鏡さんです!
まさか栃木県で中央政権の有名人のお墓に出会えるとは思いませんでした…
道鏡さんが左遷されたという下野薬師寺に向かう道中…え?孝謙天皇神社!?
やんごとなき御方のお名前と聞きなれない神社の名前に目を疑いました。
広大な田んぼの中にポツンと神社が…「今、孝謙天皇って書いてあったよね?」ってUターン。
前情報も無く、あまりにも偶然な出会いで笑ってしまいました。
あれ?道鏡さんは孝謙天皇(称徳天皇)が崩御されてから、失脚して左遷されたんじゃなかったっけ?
これは浪漫だから突っ込んではいけない奴だな…この昔話が本当なら分骨されているのでこれも銘墓ですかね。
さて道鏡さんが左遷されたと言われる下野薬師寺とは天武天皇により建立された官寺で、
東国で唯一授戒を行える日本三戒壇の一つでした。
戒壇とは授戒の場、即ち戒律を授かる場で、当時は奈良の東大寺と大宰府の観世音寺と
下野の薬師寺の三か所だけが正式な僧侶になれる場所だったのです。
初めて見る笠付摩尼車
唐から戒律を伝えた鑑真和尚縁のお寺なので立派な宝塔が建立されました。
大和上の霊土とは…分骨ですかね?
これも銘墓かな。
当時下野国は下毛野古麻呂が大宝律令の制定者の一人として活躍し、下毛野氏勢力のもと、
この下野薬師寺や同時期に建立された国分寺、国分尼寺(薬師寺から8㎞くらい)なども
建立されたのだと思います。
この近隣には立派な古墳も多く、地方都市下野国は結構栄えていたのかな。
さて、左遷されたとはいえ東国一の薬師寺でしたが、道鏡さんは2年ほどで亡くなります。
最盛期には太政大臣、その後法王にまでなりましたが、最期は一庶民として葬られたとか…
その道鏡さんのお墓は薬師寺の近くのお寺、龍興寺に道鏡塚として伝えられています。
龍興寺は下野薬師寺の別院として開山し(そりゃ近所ですわ)、鑑真和尚により唐の揚州龍興寺の
舎那殿壇の法を移したことで生雲山龍興寺として開基しました。
道鏡さんのお墓にひかれてやって来ましたが、鐘楼や各所に彫刻の数々、
写真に撮っていませんが四天王像など見所満載です。
こちらが道鏡塚、どうも元々あった円墳に追葬されたようです。周りには多くの供養塔が並んでいます。
宇佐八幡宮神託事件…U・S・A・・・なぜ宇佐八幡宮?
めちゃくちゃ遠い大分県の中津ですよ。
調べてみると八幡神社の総本山らしいです…知らなかった。
バイトで行った記憶しか無い。なんて馬鹿な学生だったんだ!修学旅行もゲーセンしか覚えていない…
最後に薬研彫の梵字が美しい五輪塔を掲載します。
(難しすぎて考察できません)
孝徳天皇神社、下野薬師寺、生雲山龍興寺と時間があれば国分寺、国分尼寺跡にも足を運び、
奈良時代の歴史に触れる浪漫な一日を満喫してみては如何でしょうか。
…頭の中でDA PUMPが止まらない。
孝徳天皇神社
所在地: 栃木県下野市上大領161-1
下野薬師寺
所在地: 栃木県下野市薬師寺1737
生雲山龍興寺
所在地: 栃木県下野市薬師寺1416