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2025/06/28

第二十一回 地元の銘墓

こんにちはSONOです
今回は皆さん知らない方は殆んどいらっしゃなないかと思います
「宮本武蔵」の銘墓です
宮本武蔵の遺骨は分骨され日本各地にありますが、
生涯を終えた熊本の地に眠っています
武蔵は、57歳の時に、島原の乱に参戦し、肥後藩主 細川忠利公に招かれ
晩年を熊本の地で過ごしています

こちらも、皆様ご存じの通り、忠利公のご子孫は、
第79代内閣総理大臣 細川護熙氏であります
宮本武蔵は、「死後も参勤交代で江戸に向かう藩主を見守りたい」との遺言を残し、
江戸時代が終わるまで大名行列を連ねた往還の豊後街道沿いに自身の遺言の通り、
鎧・兜に身を固めたまま棺に入れられたと伝えられています
命日は正保2年(1645)5月19日です(「二天記」より)

また葬儀の最中に晴天であったにもかかわらず突然雷鳴がとどろき、
会葬の人々を驚かせたという話は有名であるそうです
武蔵の墓所は、現熊本市北区の「武蔵塚公園」として整備されています
公園辺りの地名、「武蔵塚」は墓に由来した地名になっています
武蔵塚の近隣には「武蔵ヶ丘」と言う熊本市内近郊の栄えた街並みとして、
近年、全国的に有名になりました

日本の国策として誘致した台湾の半導体会社「TMST」の近郊でもあります
武蔵が死の直前まで独りきりでこもり、「五輪書」を書き上げた霊厳洞は、
熊本市西区にある金峰山西の岩殿山・雲厳禅寺の中にあり、
こちらへも全国から観光にこられます
熊本にお越しの節は、武蔵の墓所を訪ねてみられては如何でしょうか

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