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TANEです。
今回は藤原秀郷のお墓を紹介いたします。
実は恥ずかしながら秀郷については宇都宮に引っ越して来るまで全く知りませんでした。
別名「俵藤太」と呼ばれる近江のオオムカデ退治をした伝説の人らしいです。
うしとらで槍に唾つけたやつやん


Wikipediaより 俵藤太 平将門
多くの人が平将門の乱をご存知かと思いますが、その将門を討伐したのが秀郷です。
何故か討伐した人よりされた方が圧倒的に有名ですね。
折角なのでこの乱の背景をwikiってみました。
下総国(今の常総市あたり)を本拠にしていた将門は935年から親族抗争を勃発。
叔父の平国香を討ちます。その後豪族と国守のトラブルに介入し、常陸、下野、上野の国府を占領、
桓武天皇の血筋をひく将門は親皇を自称し、勝手に国司を任命してしまいました…
朝廷は藤原忠文を征夷大将軍として討伐軍を派遣。
その到着前に国香の子平貞盛とその叔父の藤原秀郷と共に将門を討伐してしまいます。
新皇と自称し僅か2ヶ月のことでした。この討伐では宇都宮の住民は皆さんご存知、
二荒山神社(宇都宮大明神)で授かった霊剣とともに将門討伐に出陣したとのこと。
またこの時着用したとの兜「三十八間星兜」が二荒山神社に伝わっているとのこと。
秀郷はこの功により鎮守府将軍にまで出世したそうです。
折角なので秀郷が築城したと言われる唐沢山城跡に行ってきました。



近江のオオムカデ退治

この城址には人懐っこい野良猫がいっぱい…


関東一の山城と称されるだけあって立派な野面積の石垣です。


築城初期には無かったでしょうが、堀切や枡形など駆使したこの城が難攻不落だったことは
上杉謙信の10度にも渡る攻城を撃退した歴史が証明しています。


山頂の本丸跡は藤原秀郷公を祀る唐沢山神社になっています。



南城跡や天狗岩からは佐野市街はもちろん、天気の良い日には
東京の高層ビルも見えるようです。
この唐沢山から5キロほど離れたところに藤原秀郷公の墳墓があります。



住宅地の一角に鳥居が建てられ塚がひっそりと祀られていました。
1,000年も前の遺構が残り、今なお語られ祀られるということは非常にロマンを感じます。
…ですがやはり首塚の祟りなどもあり、やらかした将門公の方がインパクト強いなぁ